自然の巡りを感じた、ねんどの時間 〜シューマッハ・カレッジの学び〜


毎日、ジワジワっと感激が浸透してきます。

ビュンッとボールが飛ぶような速さではないのは、一つの分かりやすい答えが飛んでくる訳ではないから。

答えだったり、講師側による、ここに導きたいという意図的なものもないから、ただ自分自身が感じるだけ。

自分が解釈を加えて、私なりに腑に落として消化していくので、「ジワジワ」という速さなのです。


ねんどの時間  



私たちに、あらかじめ伝えられていたのは、「Clay(粘土)」のクラスがあるということ。

「そっかぁ〜、何か工作でもしてクリエイティビティを養うのかしら?」

それくらいしか想像をしていませんでした。


いざ、クラススタート!!


最初に、これから使う粘土についての説明がありました。
が、単純な粘土の使い方の説明ではありません。

粘土が、自然界の中で、どのようなプロセスを経て、私たちの知る「ねんど」になっていくのかを説明してくれました。

ちなみに、ここで登場する「ねんど」は、学校の図工の時間で使う、工業製品の「ねんど」ではなく、天然の「ねんど」です。

混じりっけも、加工もしていない、

1000%天然物です!!


こんなに美しい絵を掲げての説明。
けれど、通訳の子も困ってしまうくらい、かなりマニアックな専門用語が出てきていました。
(主に、地理学や地質学などで使う専門用語かと思います。)



これが、ホンマもんのねんどー!!



学校の横を流れる川から、講師の先生が採取して来てくれた「ねんど」を使用しました。

工作をするために、 
それぞれに一塊ずつ渡されたのですが、

ですが、

ですが、


ねんどを、ふと見ると、

小さなゲジゲジ虫みたいなモノが
這っている(笑)。

そう、うごめいている!

あと、枯葉やら小枝も混ざっている。
一瞬、ゾッとしたけれど(笑)、

あぁ本当に自然の産物なのだなと実感。

自分の手のひらの上に広がる、
自然の流れに小さな感激を感じました。

誰が何を作ったかは、

重要ではないようです。




各々好きなものを作って、最後に発表をして講評会でもするのかなと思いきや、ノンノンノン。

そんなものは、無かった。

ここはシューマッハ・カレッジ!!


作った作品を自身の手のひらに乗せ、そのまま部屋を飛び出し、私たちは森に入りました。

そして、

先生が「森の中で自分の好きなスポットを見つけて、そこにあなたの作品を還しましょう」と私たちに告げました。

それぞれ、お互いが何を作ったか気になりつつ、私たちは、それぞれ広大な森の中で「自分スポット」を見つけるために、四方八方に散り始めました。
どこでもステキ〜! 

とか思いつつ、探し出すと、なかなか気に入った場所が見つかりません。

しばらく、森の気配と自分を同調させる。


少し脱線すると…、


どうやら、このクラスでは、「何を作るか」は重要ではないようです。

最初に与えられたお題も、「今、自分が感じていること」をカタチに表すと言ったような抽象的なものでした。

誰が見ても分かりやすいカタチ、
例えば動物とか、家とかになった方が、
「映える」し、「説明しやすい」し、
皆んなの目に留まりやすい。

けれど、大切なのは、
自分が自分の気持ちを、
ねんどを介して、
どれだけ表現できているか。


話を戻します。


気がつくと、多くの人とはだいぶ離れてしまい(笑)、戻る時間も考えると、さすがに焦り始めました。

シダ類の植物の根元にそっと置かせてもらいました。

巡りめぐる、ねんど。



最初は砂だったのか、
岩が崩れたものだったのでしょうか。

川の流れと共に下流への旅が始まり、
やがて堆積して粘土となった。

先生が「ねんどの時間のために」と
採取をする。

そして、今回は私たちが、
そのねんどで作品を作り、 
森の中で土に還す。

先生曰く、
「雨が降ったら、
溶けてなくなるから大丈夫だよ。」
とのこと。
森の中で、
地面の表面土をちょっと足で擦ると、
私たちが、こねていた「ねんど」と同じ、
粘土層が顔を出してきました。

これを見て、
「あぁ、棄てるのではなく、元に戻すだけなんだ。」と腑に落ちました。

1つの物語を体験したような

「ねんどのクラス」でした。



単純に、「ねんどを使って表現することを学ぶクラス」ではなかった、この授業。

自然の循環の中で、自分たちが学ばせてもらっていることを強く感じました。

「ねんど」になるまでの果てしないストーリーを聞いて、「ねんど」を触る。
けれど、その「ねんど」は私の手元で止まることなく、自然界へと、また戻る。

このねんどのクラスは、自然界の循環を描いた、一つのストーリーのようだと感じました。


そして、
生徒も受け身の傍観者ではなく、
登場人物であること。


その教育理念に美しさを感じ、
静かに感激をしていました。

ふらっと旅人 / Flat Tabibito

どこか遠くへ、 「ふらっと」旅をした時のこと。 日々の暮らしの中でも、 「ふらっと」入った新しいお店、 「ふらっと」気の向くままに歩いて巡り合った景色。 遠くのどこかも、すぐ近くのあの場所も、 私にとっては同じ旅をすること。 「ふらっと」軽やかな気持ちで、そして、日常も、非日常と捉えられがちな旅先も、実はひとつながりなのだよ、という意味を「flat」に込めて、綴っていきます。

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