バリアフリーとか、便利とか。

今日は、
シューマッハ・カレッジの話から、
ちょっと脱線。

イギリスに来て体験して、
感じたことの話です^ - ^


イギリスでは、
基本的に電車を使って移動をしています。

チケットをネットで予約して、
駅で受取りを選択。

日本でも良くある、最近の受取方法。

だが、しかし、


ここは、大英帝国。


駅に行くと、駅舎が閉まっている(笑)


それは、たぶん日曜日だから。


小売店などのお店は、休日はオープンしていないと聞いていたけれど、まさか駅舎までとは(笑)!!

え、じゃあチケットの受け取りはどうしたら…💦


駅で、近くにいた人に聞くと、

「反対側のホームにある、あの機械だよ」
っと、教えてくれたけれど…。


…反対側まで行くんかい!!

↑写真は、うらめしい反対側のホーム。

私の片手には、ガラガラ引っ張るタイプのスーツケース。

仕方ない、エレベーターを使って、
陸橋を渡り行くしかない💦

…と思い、エレベーターに行くと、
「点検中、動いていません」との看板(笑)。

休みかーーいっ!!!


これ、車イスや、どうしても階段を登れない人だったらどうするのだろう。。。

こういう点では、よっぽどの事がない限り、公共的な施設では「通常運転」ができる態勢や便利な仕組みを整えている、日本はすごいなと思う。

もう、日本だと、深夜に点検作業などをして、「え、故障?僕たちの辞書に故障なんてありませんけど〜!」みたいな涼しい顔を見せて、鬼のように、維持するじゃないですか(笑)。


ただ、こういう不便な環境が当たり前だからこそ、人々は、もし自分で取りに行けなければ、近くの人にお願いしたり、お願いされるのも当たり前だったりする気がします。

なんなら、「無理だ!」と思えば、そのまま電車に乗ってしまうのかもしれません(私もそうしようとしたけれど、近くの人がわざわざ買いに行ってるので、真面目にマネしましたw)。

つまりは、

コミュニケーションさえ取れれば、

どうにでもなるでしょう!


助け合えばいいでしょう!


という考えが社会の根底にある気がします。



改めて、

バリアフリーとか、

便利さって、

何なのだろうと考えさせられました。




日本の「いつもカンペキであるべき」環境には、安定や安心感などの恩恵を受けていて、こうした違う環境にくると、より、有り難いなぁと感謝せずにはいられません。


けれど、そのシステムを支える多くの人々が疲弊しているのも、現状。



どうすることで、日本で自分たちが持つ社会システムに誇りを持ちつつも、もっと笑って生きることができるのだろう。

そう考えるキッカケとなった体験でした。


追伸、
腰を痛めての旅路だったこともあり、券を取りに行くのは、ある意味、命がけでしたわ〜。

ふらっと旅人 / Flat Tabibito

どこか遠くへ、 「ふらっと」旅をした時のこと。 日々の暮らしの中でも、 「ふらっと」入った新しいお店、 「ふらっと」気の向くままに歩いて巡り合った景色。 遠くのどこかも、すぐ近くのあの場所も、 私にとっては同じ旅をすること。 「ふらっと」軽やかな気持ちで、そして、日常も、非日常と捉えられがちな旅先も、実はひとつながりなのだよ、という意味を「flat」に込めて、綴っていきます。

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