みんな違って、みんな良いはずなのに…あれ?

「他人との比較は意味がない」

「他人と自分を比較しても仕方ない」


こういう系のフレーズ。
もうビジネス書でも、自己啓発系でも、心理学系でも、学校の教科書でも、もう至るところで、出てくるお馴染みのフレーズだと思うのです。

もちろん、多くの人が「そうだよね。」と納得すると思うんです。

私も、他人と自分を比較して「はぁ、私なんか⤵︎」と思うより、自分は自分!と思えている方が精神衛生上、とっても穏やかだと思います。

けれど、けれど、けれどさ!

こんなに至るところで、このフレーズが出てくるってことは、多くの人が、そう思うけれど、なかなか出来ないこと。

つまり、多くの人々の憧れのテーマなのかと思うのです。

そして、私が危惧するのは、日本人って真面目でしょ。というより、権威ある人やメディアから「こうあるべき」と流れてくると、そうなのか!と流れやすい。

なので、教科書通りに「自分は自分!比較なんて意味がない。」と実践できないと、以下のようなパターンに陥る人が多いのじゃないかと…。

【つい比較してしまう人が

陥りがちな2つのパターン】


1)自己否定型
「あー、また他人と比較しちゃったよ!
比較しない方か良いって分かってるのに出来ないなぁ。難しいなぁ。
あ〜、どうして出来ないんだろう?!?!
できない自分ってダメだなぁ⤵︎」という自己否定型。


2)自己嫌悪型
「あー、また比較しちゃったし💦
比較しないようにしたいけど、ほかにどうしたら良いか分からないし。あーイライラすんな💢」という自己嫌悪型。

えぇえぇ、私もなりかけました。


書いてみたけれど、自己嫌悪も否定も似てるね(笑)。
「悲しさ」として現れるか、「怒り」として現れるかの違いだけかな?


比較しちゃった時は「しょうがないよ。だって人間だもの byみつを」と、相田みつを氏に助けてもらいます(笑)。

と、冗談はさておき、はい本題です。

【なぜ、自動モードで比較してしまうのだろ?】


なんで、そもそも、こんなに自動モードで、比べちゃうのだろ?と、ふと空を仰いで考えてみた訳です。

あぁ、そっか💡

だって、日本で生まれ育って、日本の一般的な学校へ行っていれば、もれなく、「無意識に他人と比較する術」を仕込まれてきているのですもの。
(もちろん、日本以外の国にでもあると思いますが)

私たち、他人と自分を比較する技の習得に関しては、エリートコースを歩んできてます(苦笑)♫

テストを受ければ、平均点というものが出され、自分の位置が記される。

点数が悪ければ、もれなく「赤点」をつけられ、ご親切に、劣等感や敗北感を感じさせてくれる。

頼んでもいないのに、成績順位がつけられ、下手すると貼り出される(笑)。
上位だったら嬉しいけれど、下位だと公開処刑ですよね…トホ。

●●ちゃんは頭が良い、
▲▲ちゃんはバカだ。

誰もが言ったり、
聞いたりしたことのあるフレーズでしょう。

もう、100点中、自分は何点かが分かりさえすれば充分なのにね。

音楽や美術、体育とかアート系も、数値の物差しで測られる。
表現の自由は何処に…。

上に書いたのは一例で、色んな角度から、子どもの頃から、コツコツ他人と比較して自分を上に上げることを教え込まれいる。

大人になったら、さらに「比較する・される」環境に晒される。

その方が、「勤勉な労働者」や「良き消費者」に仕上がるしね♫
つまり、何が言いたいかというと、

他人と比較してしまうのは、そんな環境で育ってきたのだから、極めて自然なことだよ。

やってしまっても仕方のないことだよ。


ということです。
資本主義の世界で生きる限り、仕方がないことなのだと思うのです。

「他人と比較するなんて、時間の無駄だー!」なんて強く仰る方がいたら、「だったら、まずは社会のシステムや価値観を変えてきてヨー!」と言いたい。



話をまとめると、


「他人との比較は意味がない!」は、素晴らしい発想だと思います。
多くの人も「そうなりたい」と思っている。

けれど、「他人と比較する」を止めることは難しい。

それは、自分たち自身が「比較することは必要なこと。他人と比較して自分を高めていくことが大切」という文化価値観で育ってきているから。


【対処法】

そういう背景を踏まえて、
他人と自分を比較してしまったら、

→「あっ、またやっちゃった(テヘッ)。仕方ないよね、人間だもの!比較することは必要だって習ってきたのだから。」
と、相田みつを氏に助けてもらいながら(笑)、一呼吸置く。

→その上で、「私があの人と比較して、自分がダメだと思うのは、あの人みたいに活躍したいからなんだ!」などと、自分の本望を探り出して、その思いの存在を受け入れる。「だよね、自分もあの人みたいになりたいんだよね。うんうん。」と。

そうした方が、精神衛生上、ベターなのではないかと思いました。


って、もしかしたら、みんな既にやってたことかしら…。
知らなかったの私だけ(←あ、比較してる 笑)!?


ーーーー
追記:
昨夏、シューマッハカレッジに行って学んできたことが、最近、また一段、ふに落とし込めてきている感覚があります。
まだ全てではないけれど、頭で貯めていた「学び」が、自分の日常と結びついてきた感じ。
またシェアできたらいいなと思います、

ふらっと旅人 / Flat Tabibito

どこか遠くへ、 「ふらっと」旅をした時のこと。 日々の暮らしの中でも、 「ふらっと」入った新しいお店、 「ふらっと」気の向くままに歩いて巡り合った景色。 遠くのどこかも、すぐ近くのあの場所も、 私にとっては同じ旅をすること。 「ふらっと」軽やかな気持ちで、そして、日常も、非日常と捉えられがちな旅先も、実はひとつながりなのだよ、という意味を「flat」に込めて、綴っていきます。

0コメント

  • 1000 / 1000