ただ、見ているだけで良いんだよ。

冒頭より、
突然ですが…、

わたしは、美しい風景を見たり、雄大な自然の中に浸っていることが大好きです!!

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自然を守りたい

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学生時代に所属していたキャンプサークルでは、毎夏、長野県の、とある国立公園の湖畔でキャンプをして過ごしました。

朝から晩まで、ずーっと自然の中に浸っている訳なのですが、その時に、はじめて「こんなに楽しくて、気持ちよい時間を過ごさせてくれる自然って、スゴいじゃーん!!」と思いました。

それが、「自然を守りたい」と、
はじめて心から思った、原点でした。

〜〜 時は経ち。 〜〜

美しい自然の景色を守りたい。
けれど、何をしたら良いのだろう。

なんせ、相手(自然)は広大で、雄大なので、私ひとりが何かしたところで、すぐには変化は起きませんから(笑)!!

ちなみに、この時の私が言う「自然」とは、山や海、草原など、規模でいうなら国立公園に値するような広域の自然空間を意味しています。


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ただ、見ているだけで充分なんだよ。

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ある時、同じように自然が好きな友人に、上に書いたような思いを、ぽろっと話したのです。

すると、友人は、
「ただ、その景色を見に行くだけで、充分なんだよ」と言いました。

私「……。え?!」

私の頭の中では、

自然が、とてつもない恩恵を与えてくれる。

→だから、恩返しがしたい。

→いつまでも、素晴らしい自然があるように、「守る」ことが大切なのかな?

→じゃあ、「守る」ことにつながる行動に移さなきゃ!!

という発想しかなく、
しかも、彼女も自然を守るような仕事をしていたので、その答えは意外でした。

彼女の言葉は、今も、私の頭の中に、
しっかり残っている言葉です。

その理由は、まだ明確に言語化できていないのですが、私の中にない視点だったので、インパクトがあったのでしょう。

(↑真ん中の山は白馬岳)

自然を守りたいんだ!と思う一方、「守ろう」という言葉は、おこがましいなとも感じてきました。

なので、正直、自然保護という言葉を使うのは、私は好きではありません。

強いて使うなら、「自然保全」。

側から見たら、

ほぼ一緒やーーーん!!!


と突っ込みが入りそうですが(笑)。

恐らく、自然側からしてみたら、
「日々、公害やら何やら、飽きることなく地球に負荷を掛けてくれる人間たちよ。
私のことを『守る』だって??
お前さんたちがいないのが、一番タメになりますから〜!残念!!」

と思っているのではないかと、
感じてなりません(笑)。

つまり、
結局、私たちは、いつも自然に包み込まれて守られている側なんだなぁと感じます。

まるで、ギュッとハグをしようと思っても、相手はあまりに大きいから手が届かず、自分自身が包み込まれてしまっているかのよう。
そう、親と子みたいな図です。

なので、友人の一言は、

無理せず、奢らず、やれることをやろうよ〜。
好きなものは、ただ心で感じるだけでも充分なんだよ〜。


と、気がつかせてくれたのかもしれません。

好きなことをすることは、
努力をしなくても、楽々できますよね〜。

むしろ、夢中になり過ぎると、周りに、
「もう止めなよ」と、止められる程かもしれません(笑)。

「好き」だったり、「楽しい」と、
自然と意識が向いてしまいませんか?

肩肘張らずに、楽しんで行こう〜♫


情熱や、熱血も大事だけれど、

良い意味で、
ゆる〜く、楽しくやるのが、
長く続けられる秘訣かもしれない。

そう、カッコよく言えば、

サステイナビリティ(持続可能性)✨


マジメに考え続けていたら、つまらないし、疲れてしまうし、人も寄って来ないかもしれませんからね!

というわけで、
真面目モードに偏りそうになったら、
友人の一言を思い出し、

ただ楽しむ。


まずは「心で感じるまま」を大切にして、
それを指針に動きます。

(↑白馬村の大出公園。この春と雪山のコントラストをやっと見れて感激した瞬間です)

ふらっと旅人 / Flat Tabibito

どこか遠くへ、 「ふらっと」旅をした時のこと。 日々の暮らしの中でも、 「ふらっと」入った新しいお店、 「ふらっと」気の向くままに歩いて巡り合った景色。 遠くのどこかも、すぐ近くのあの場所も、 私にとっては同じ旅をすること。 「ふらっと」軽やかな気持ちで、そして、日常も、非日常と捉えられがちな旅先も、実はひとつながりなのだよ、という意味を「flat」に込めて、綴っていきます。

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