大きくたって、小さくたって、自然は自然。

こんにちは。

外に出ると、日々、
木の葉っぱの色の変化が目に止まります。

いよいよ「冬が来るんだ…」と、感じます。

南北に長い日本。
皆さんの周りの今日の風景は、どんな感じでしょうか?

大自然が素晴らしい?


さて、本題。

「自然」という言葉を聞いて、皆さんの頭には、どんなものが浮かびますか?

葉っぱ、花、海、動物、空、山 etc

そして、頭に浮かぶ「自然」の規模。
つまり、大きさはどのくらいのものでしょう?

手のひらサイズ?
両手いっぱい広げても、
収まりきらないサイズでしょうか?

よくよく考えれば、「自然」と言っても、小さいものから大きなものまで、色々ありますよね。

また、
「素晴らしい自然」「美しい自然」というフレーズを聞いた時、どんな自然をイメージするでしょうか?


たぶん、亀1匹や、


家で咲いた花などを、

思い浮かべる人は少ないと思うのです。

けれど、
上に掲載した写真の亀さんは、上野動物園にいるガラパゴスゾウガメなのですが、推定年齢80歳前後だそう。

地球上では、大先輩な存在です(笑)。

しかも、もともとガラパゴス諸島にしか生息していない希少な動物ですが、年々、個体数が減少しているとか…。

もう、めちゃくちゃ、

すっごい自然じゃない?



そして、一輪の花も、温暖化を抑止する直結のパワーにはならなくても、私たちに、生命の神秘や、植物の存在の不思議さを教えてくれます。

小さくても、大きくても、

自然の存在は偉大!



こんなことを書いたのは、

実は、私が「自然」と聞いてイメージする自然は、山や海など大規模なもの。

いわゆる「大自然」と言われるような人里から離れた自然が好きな傾向があり、自戒の念を込めているということがあります。

だって、人智を超えたような

迫力や感動があるじゃないですか〜!!


大自然を守ることは、

温暖化防止や環境保全にも不可欠だし!


そう、「大自然こそ、すばらしい」と思ってきました。


なので、これまでは、日常で触れるような「自然」には、そこまで価値を感じていませんでした。

具体的に言えば、富士山で感じる大自然と、日常で見る「道端の雑草」のような自然には、繋がりがある感覚が持てませんでした。

いえ、想像すらしていなかったのです。

富士山で感じる自然 =素晴らしい。
道端の雑草     =残念な自然(笑)。

違いすぎる!!

っと。


ある本との出会い



ある時、アウトドアクリエイターの四角友里さんの著書、『デイリーアウトドア〜自然とつながって心ゆたかに暮らそう』を読んだとき、「自然」を捉える意識が変わりました。

その本には、例えば、

「空を見上げて見よう。」 

とか、

「裸足で芝生を歩いてみよう。」


なんて、書いてあるのです。

日常の中で気軽に出来る「何かアウトドアらしい特別なこと」を期待して手に取った私は、思わず、

それ、いつでもやってるわ!!!



と、本に突っ込んだワケです(笑)。

そう、その本に書かれていたことは、私にとっては特別なことではなかったわけです。

ガッカリ…したか?

いえいえ、むしろ、

そんなことで良いんだ!

と気がついたわけです。


さらに気がついたのは、 

捉え方を変えること。 


それまでは、

「あぁ、今日は山に行けない。しょうがないから芝生で転がって、自然を味わおう。」
「都会じゃあ、大きな自然なんて、空くらいだよね…」

と捉えていたのですが、


大自然と足元の自然はつながっている。

目の前にある自然の、その先の繋がり

まで想像してみよう、と。



「芝生も大地。」
そう考えると、朝晩や天気で地面の冷たさが変わるので、当然ながら、素足で立てば、身体への影響も変わります。
大地って、こんなに温度が変わりやすいんだなぁ!
家や建物って、本当に人間が暮らしやすい場所なんだ。人類の知恵だなぁ。
けれど、自然からは少し離れ過ぎているかもね。。。


「この空は、
アラスカの空とつながっている。」
都会の空は、ビルの合間を切り取ったようにしか見えないですが、実は、世界とつながっています(笑)!!!

そう思うと、自分がスマホを眺めている、この間にも、シロクマが今日のディナーのアザラシを狙っている「日常」の時間が流れているんですよね。

頭の中に浮かぶ世界が変わってきました。


要は、
捉え方が変わるだけで…、

大きくても、小さくても、自然は自然だ!

その奥深さには、

「大きい」や「小さい」は関係ないのだ!

と、気がつきました。

そうすることで、
目の前にある一輪の花も、ただ「キレイ。」だけで終わらず、いろいろな繋がりや、尊さが見えてくるのだろう、と。

皆さんの周りには、そんな連想をさせてくれる自然はありますか?

妄想でもオッケーなので、
ぜひ楽しみながら、想像してみてください。


















ふらっと旅人 / Flat Tabibito

どこか遠くへ、 「ふらっと」旅をした時のこと。 日々の暮らしの中でも、 「ふらっと」入った新しいお店、 「ふらっと」気の向くままに歩いて巡り合った景色。 遠くのどこかも、すぐ近くのあの場所も、 私にとっては同じ旅をすること。 「ふらっと」軽やかな気持ちで、そして、日常も、非日常と捉えられがちな旅先も、実はひとつながりなのだよ、という意味を「flat」に込めて、綴っていきます。

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