自然ダイスキ、偏愛自然歴(後半の後半)

後半の後半で終わらせねば!
シンプルにまとめていきます。

・新社会人の幕開け
社会人になると一日中オフィスの中。
外と繋がる窓はカーテンが降りている。
ほぼ一日中、パソコンとにらめっこ。

やっぱり自然に囲まれていた学生時代は本当に恵まれていたし、自分には快適な環境だったと、しみじみ感じました。

ある時、十何階だかのフロアが私の所属するオフィスだったのですが、窓の向こうを見ると、ビルの谷間に大きな夕陽が落ちていきました。

そして「私、こんなところで何やってるんだろ?」

日は登り、南中し、落ちて、と1日の中で色々変わっていくのに、私はずーっと建物の中で、時間や気候の変化さえも分からないし、見逃している。

こんな生活が何十年も続くの?
それは本当に自分にとって幸せなのだろうか?

そういうこともストレスの種になっていたとは思いますが、主要因は違う理由で体調を崩し休職します。

苦しかった時、

やっぱり自然のことをちゃんと勉強したいと思ったこと。

そして、苦しい時の癒しになっていたのがヨガなど身体を適度に動かすことと、自然に浸ることでした。

それまでの単純な、自然体験を多くの人にシェアしたいに加え、「自然は人の癒しになる。だから自然が人を癒すお手伝いをしたい」と思うようになりました。(←ちなみに、誰かを私自身が癒すことには興味がありません。あくまで、自然に浸ることは癒やしになることもあるよという場づくりとか、情報提供を今はしたい程度)。

その後、再び学生に戻ります。

二校合格して手続き最終日まで迷いに迷ったのですが、最終的に千葉大大学院の園芸学研究科に進みます。

決め手は、自然環境を人の健康・福祉面で活かす環境健康学という分野が学べることでした。
主専攻はランドスケーププランニングだったので上記のものは副専攻のような位置づけでしたが、自然セラピーや漢方、福祉論についてなど結構真剣に学んでいました。

それ以外にも環境教育、デッサンなどのデザイン系など幅広く学べ、学部が異なる分野だったこと、また異なるトピックを掛け合わせて考えるのが好きな私には大変楽しい学校でした。

この頃も、とにかく私には、自然に関する知識や体験が足りないと思い、学外でも、勉強会や体験会にも結構参加していました。

大きな影響を受けたのは、
インターンシップでお邪魔した、軽井沢の星野リゾート敷地内にある「ピッキオ」と、静岡県富士宮市にある「ホールアース自然学校」でした。

ピッキオは、理念である「森の経済価値を高めること」に惹かれました。


なぜかというと、野外業界と言えば良いでしょうか。この業界では、「この業界は喰えない」というのが定説のようにあるのです。

なので、そんな辛い思いしてでも野外業界で働きたい?そもそも喰えないってなんでよ??と思っていたのです。

だから、このピッキオの理念は経済と絡めていて面白いなと思ったのです。

また、ただ自然を守るためにエコツアーをやるのでは意味がなく、参加者に楽しんでもらわなければ興味を引くことができないと考えています。ツアーはエンターテイメントなんだ!と。

なので、インタープリターと呼ばれるガイドさん達のエンターティナーっぷりが、ものすごく高いのです。

インターン生としてツアーに入り、一番後ろで見ていると、都会っ子の子供たちだけでなく大人も夢中になっている。

もう、すっごい!!と思いました。
自然観察やガイドって一歩間違えると、超堅苦しくなるし、だいたい堅苦しいイメージが先行しているので(笑)、私も好きではありません、実は。

私も、人を呼んで何かイベントをやるなら、絶対おもしろく楽しくのエンターテイメント性、エンタティナー性を大事にしたいと、ココで学びました。


もう1つのホールアース自然学校について。
ここは学生向けの無料自然体験講座をやっていたので月一回、3時間くらいかけて東京から通いました。


ここでは、洞窟探検や狩猟体験などの少し珍しい自然体験、自然の中でたくましく生きる体験、他の命をいただいて自分は生かされていることを強く体験しました。

鳥を締めて肉にするなんて強烈ですけれど、日々の暮らしがいかに、命の循環を感じないシステムになっていることや、精肉業に携わる方々はかつては差別の対象だったこととか、自分で体験してみると「おかしい!」と絶対的な答えが出てくる。

体験することは自分にとっての真実が出てくることだと思いました。

学部生の頃と合わせて、だいたい日本の主要環境教育や自然学校関連は行き、将来を考えた時、自然ガイドみたいなものになりたいかな〜と思ったのです。

けれど、私には大自然の経験がない。
もっと自然体験を積まなければとなっていました(笑)

ワーキングホリデービザを使い海外に行こうか迷っていた時、3.11が起こります。

居ても立っても居られず、毎日、すぐに参加できるボランティア団体の募集を探していました。

運良く、ホールアース自然学校のボスがトップを務めるボランティア団体の募集を見つけました。

参加すると、アウトドアや自然学校などの関係者がメンバーの大半を占めていました。

ボスがその時言った言葉が印象に残っています。「日本は自然災害が多い国です。災害と共にあります。しかし、この自然の撹乱があってきたからこそ、日本は自然の幸や豊かさに恵まれてきたのです」と。

多くの方が亡くなったり、それまでの生活を無くし苦しいのは当然です。しかし、多くのニュースのように辛いですね、憎いですね、悲しいですねだけでは終わらせず、自然の捉え方や向き合い方について語るボスに、ハッとさせられたのです。

自然は時に脅威になる。いやむしろ、人智を超えているのが普通なのだろう。
自然ってステキよ〜。ただそれだけでは終わらない人になろうと思いました。

〜〜
その後、いつ死ぬか分からないと強烈に感じ、ワーキングホリデービザを使いカナダとニュージーランドへ行きます。

カナダとニュージーランドでは、ワーデンやフォレストレンジャーと呼ばれる方々の存在に魅了されていたのです。

自然環境を保護する人々なのですが、ただ「ここから先は入っちゃダメよ〜」という訳ではないのです。

適正に自然が利用されてこそ、自然の素晴らしさを実感してもらえるということで、各国立公園にはインフォメーションセンターがあり、必ず彼らがいます。

彼らに聞けば、季節の草花のことはもちろん、ハイキングをしたいと言えばオススメのハイキングスポットや危険情報など何でも教えてくれます。

また、普及啓発の活動として、ガイドツアーなども開催されるのですが、これまた皆さんエンタティナー!!

確かニュージーランドの日本でいう環境省のような組織の理念に「本物の自然に触れた者だけが、深く理解し、また戻ってくる」みたいなものがあるのです。

なので、積極的にハイキングトレイルなどを整備し、情報提供し、楽しんでもらうことに力を入れていました。

レンジャーの役割だけでなく、システマティックな自然公園整備の在り方などが私にはカルチャーショックで、結局はここに影響され、修論も書いたし、日本では役割が若干(いえ、だいぶかも)違うのですが、日本のレンジャーになりました。

あと、カナダのホーリーホックという施設もカルチャーショックを受けました。


ここは、リトリート施設。
日本語だと説明が難しいのだけれど、心身の健康を育んだり、自らの向上心を満たすため色々なプログラムが提供されたり、穏やかな自然に身を投じることができる場所です。

最近は日本でもリトリート施設が増えてきましたが、ここはちょっとやそっとじゃマネできない、地理的にも、人的にも、優れた環境に恵また天国のような場所です。

訪れている人々は「ここは、peacefulよね」と口々に言う。
こういう環境を形容する時にpeacefulって単語を使うのか!と身に染み込むように自分の中にインストールされましたもの。

自然環境だけがあって成り立つものではないのですが、こういう、心身共にゆっくりできる施設や環境、サービスがあることで、「より良く生きる」ことに対して、訪れる人々は向き合うことができるんだ。

人生のうちに、自分だったり何かに向き合いたくなる節目って、きっと何度か(も)、あるかと思うんです。

私も、施設を作ってしまうと動きづらくなるので固定施設は作らないけれど、ソフト面は真似して、ホーリーホックのような雰囲気を作っていきたいと思ったものです。

今は、胸が高まるほど思っていない気がしますが、私の根底にあるのではないかと思います。だって、また行きたいなと思っているくらいなので!

カナダという大陸で、世界自然遺産であるバンフに住んだ経験。
ニュージーランドでは、日本とほぼ同じ国土規模ながら、人口が少ないので、至るところで自然が溢れていたこと。

人との出会いやその他、働いたりの経験もあったからこそですが、ワーホリの経験は一生の財産となっています。

こんな背景が私の自然遍歴歴にはあります。

















ふらっと旅人 / Flat Tabibito

どこか遠くへ、 「ふらっと」旅をした時のこと。 日々の暮らしの中でも、 「ふらっと」入った新しいお店、 「ふらっと」気の向くままに歩いて巡り合った景色。 遠くのどこかも、すぐ近くのあの場所も、 私にとっては同じ旅をすること。 「ふらっと」軽やかな気持ちで、そして、日常も、非日常と捉えられがちな旅先も、実はひとつながりなのだよ、という意味を「flat」に込めて、綴っていきます。

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