私の人生に影響を与えた学生時代のサークル活動/キャンプで学んだ「誰も見捨てないシステム」
自分の人生の方向性を変えたと思う、大学時代のキャンプサークルとの出会いについて、今回は書きます。
「教育」というキーワードで書こうと思ったけれど、なんだか枠に収まりきらないと思い、じゃあ「健康」?と思ったけれど、それも当てはまらず(笑)。
横断的に複数のキーワードに掛かるものだと思い、単独のトピックとして書くことにしました。
関係するキーワード:
「自然」×「野外体験」×「人的育成」×「教育」×「well being 」
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偏愛自然歴のところでも、少しご紹介しましたが、キャンプサークルと言っても一風変わったキャンプサークルです。
テントを立てて、焚き火やバーベキューをして、ウェ〜イ!という感じではありません。
私が入るだいぶ前に学生主体のサークルになったのですが、当初は大学の体育科主催の夏休みの催しでした。
なので、真面目で高尚なテーマがあったのです。
1つは、体育科らしく、健全な心身を育むこと。
青少年育成で有名な組織YMCAの流れも汲んでいたこともあり、「body」「mind」「spirit」の3つをバランス良く育むことを意識していました。
また、キャンプが開始されたのが戦後すぐだったこともあり、「民主主義を意識して公平に思ったことを発言できるようにする」というようなテーマを意識していたようで、不特定多数の1〜4年生が参加しますが、上下関係を意識させないために、キャンプが終わるまで自分の素性(年齢、出身など)を明かさず、タメ語で話すルールが適用されます。
また、私たちのサークルのキャンプのスタイルは「オーガナイズド・キャンプ(organized camp)」、組織キャンプと言われるもので、予め、キャンプのテーマやキャンプ中何をするかが事前に決められプログラムが組まれています。
欧米のサマーキャンプなんかに多いスタイルだとか。
ログハウスのようなキャビンに泊まり(電気は通ってません)、ご飯も基本的にはキャンプサイトの調理師さんが準備してくれるものを頂きます。
これを話すと、だいたいの人は「え?テントにも泊まらない、自炊もしないなんて、それキャンプって言うの?!」と理解不能オーラを出してきます(笑)。
私も最初聞いた時は理解不能で、怪しいサークルと思いましたので、よく分かる!
もちろん、プログラムの1つとして飯盒炊爨もやったりしますが、基本は、ひたすら遊んで、寝て遊ぶだけ。
やったことがある方なら分かるかとおもいますが、飯盒炊爨は楽しい反面、時間もかかるし、気力や体力もそこそこ使います。
それが1日3回実施するとなると、それだけで1日が終わります(笑)。
私の解釈も加わっていますが、狙いとしては、いつもの日常から離れた場所で、いつもと違う暮らし方で、いつもと違う人たちと集団生活を送る。そして、「遊ぶ」ことで自己解放をし、自己を見つめる。また集団の中での自己にも気付き、社会性を身につける。
なので、三食の炊事にエネルギーを投入してヘトヘトになるのは目的が遂行できず勿体ないと、このタイプのキャンプでは捉えるのです。
こうやって書くと、いかにも青少年育成って感じですね(笑)
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一日中ひたすら自然の中で遊ぶなんて、4日も5日もできるの??飽きないの??
時間も分からないし、携帯もないし、ランプでの生活で、そんなに持つの?!
行く前はそんな風に思っていました。
そんな風に思うくらいだから、頭も凝り固まっていたのかもしれません。
まあ、それまで、ある種隔離された環境でキャンプなんてしたこともないから心配になるのも無理はありません。
典型的な日本人らしいと言うか、現代人らしいというか、都会人らしい発想ですよね(笑)。
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恵まれた自然環境の影響は前回の投稿で書いたので、他の感激したことについて。
その時は感激した!!という強い印象は受けてませんでしたが、この後の人生に影響を与えてくれたと思います。
●まず、タメ語で話すので、上下関係を気にせず、個人と個人の関係性で話せるのが快適でした。
普段だと、年上の方はもちろん気を使うし、年下でも、この子は年下なのか後輩なんだと変な意識をしてしまう。
そういうのがない、フラットな人間関係、しかも英語などでなく、似たような風土で育った人たちと分かち合えるのは良かった。
今でも、学年の違いに関係なく、気の合う仲間は心友(しんゆう」です。
私には、いとこのお兄ちゃんお姉ちゃん、が増えたようにも感じ嬉しかったな〜。
●みんなすばらしい!
集団生活をしていると、「あぁ、この子とはキャラ的に合わないかも」とか「話が合わない、だってオタク過ぎるよ、この子」とか、やっぱりあるんです。だって人間だもの(笑)!
あと、どうしてもムードメーカーみたいに人気者キャラ、なんだか目立つ人、一体何を考えてるだろうという寡黙な人なども際立ってくる。
けれど、寝食共にしているから、「あぁ、この人、この部分は凄いじゃない!!」とか「誰も見てないのに、1人でみんなのためにあんなに頑張ってくれてるよ、アイツ!!」とか、皆んなのキラリ✨と光るポイントが見えてくるんです。
「誰でも、必ず光る部分はある。」
キャンプで学んだことです。
それをサポートする仕組みがうまくできていて、「裁判係」という係がいて、基本、ルールを守れない人が出たら、クスッと笑ってしまう微笑ましい罰ゲームを与える係なのですが(笑)、頑張ってくれた人を皆んなの前で讃えることもやります。
あと、そんな「善行」を積めなくても(笑)、自分がやりたいことがあれば、興味のある人を集めてやってもいいし、特技があれば披露してもいい。
上手くいかなくても、「頑張ってすごい!」とか、人数がいるので誰かは「あれ、良かったよ〜」と肯定、賞賛してくる人がいる。
もちろん、自分を発揮できない人、または興味もなくて(控えめで)皆んなの前で何かすることをしない人もいる。
けれど、キャンプリピーターである人々が、目を光らせており、どうにか各メンバーの光る部分を探し出すんです。
最後に、参加者の名簿のようなものが各自に配布され、そこに1人1人がメッセージを書いていくんです。
例えば、私が山ちゃんだとします。
すると、サイン帳をめくると、参加者全員のプロフィールが書いてあり、その横に「山ちゃん、山ちゃんの笑顔を見ると朝から元気にみなぎりました!」とか、温かくなるメッセージが書かれているんです。
こんなハートウォーミングなメッセージが40,50人分ある。
ここで、あっ、あの人、私のこと、こんなに見てくれていたんだ💫とか、私ってこんな良いところもあったのかとか、ジーンときて、
超幸せになります(笑)
誰も見捨てないシステム。
卒業してしばらくして、振り返った時に、そういう仕組みになっていたのかと理解しました。
社会では、どうしても「doing」の部分で、その人の価値を見られることが多い。
しかも、現代社会のモノサシに見合った「doing」で。
このキャンプコミュニティでは、「being」の部分も、お互いが尊重していたのかなと思います。
私の生まれ育った家庭は、ほぼ「褒める」文化がなかったので、キャンプで、皆んなから温かく肯定してもらえたことが、すごく温かく感じたのです。
そうでなくても、多くの人が居心地の良さを感じている。
ある時、ある友人が「このキャンプの関係性の中にいると、成長できない。ダメになりそうだ。」と言っていたのですが、結局、今も仲間たちとつるんでいます(笑)。
ちなみに、社会的地位もしっかり確立してます。
きっと、安心してホッとできる場所、関係性があるのだと思います。
一般社会にも必要なことなのかなと思っています。
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こんな、一風変わったキャンプサークルで過ごしたので、何かイベントをやるにしても、参加者それぞれがノビノビ過ごせたり、その人の個性が発揮できたり、新たな人との出会いによる化学反応を活かせるようにするなど、人間的成長にも結びつく仕組みを備えさせたいなと思っています。
いや、既に、それを大切にして、できる範囲では実践してきたかな!
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