シュタイナー教育を訪ねて

シュタイナー教育を訪ねて。
 
シュタイナー学園のオープンデイが開催され、大人向けの体験授業が受けられるとのことで、子供がいる訳でもないのに(笑)、お邪魔させて頂きました。

はるばる藤野まで(遠い)、しかもきっとお子さんの入学を考えている親御さんが多いのだろうと、いろんな理由をつけて行くのを辞めようかと当日朝まで葛藤してましたが、結論としては行って良かった!
(素足になって歩く。触覚や足に触れるものの違いによって身体の使い方の違いを感じるものかと思います)

なぜ親でもないし、教育者でもないのにシュタイナー教育に興味を持ったかと言えば、大人になればなるほど、自分が受けてきた教育(特に小中高)って何だったのだろう…。あれで良かったのだろうか?と思うことがキッカケとしてあります。

大学生になった時、シュタイナー教育とは違うけれど、自由学園出身の友人が何人かできました。

話を聞くと、当時の私には理解できない学校システムで、世の中にそんな学校あるの?!と驚いたのと、彼女たちは、いわゆる「フツーの学校」を出た人たちとは違う「自立・自律心」や「信念」のようなものがあり、自分にはない何かがありました。

あと、インターナショナルスクール出身者も大勢いたのですが、また違った意味で私にないものを持っている人たちでした。

それらは、単純に「お勉強」して得られるようなものではなく、点数の良し悪しで左右されるようなものではない「何か」でした。

〜〜

わたくし、中、高、大学、大学院と、別に試験が好きな訳では一切ないのですが(むしろキライ!)、結果的に受験を何度もして、ある意味、受験のプロです(笑)。

高校以降は自分の意志だったけれど、中学は、ほぼ親の意向が元だったので、小学生の頃、もっと「お勉強」じゃないことをしたかった。

とか、

中高も結局は受験につながる勉強になるので、学ぶこと自体は好きなのだけれど、高校なんかは、授業がほぼ受験対策みたいで楽しくなかったんだよね〜。

(温もりある校舎の廊下)

大学は、過去の後悔をバネに、幸いにも行きたい学校に行けたので、学ぶことが楽しく現在まで続いています。

だからこそ、大学以前に受けた教育を思うと、数々の「未練」として浮かび上がってきて(笑)、真の意味で人を育てる教育って何なのだろうと思ってきました。
(3,4年生の学び:職人さんに手伝ってもらいつつ、木を切り出すところから始まり→建てる→壊すところまでが学びだそう)

ちょっと脱線しますが、大学生になって兄弟の小学校の運動会を見に行った時のこと。自身も卒業生なので特に新鮮味はなかったはずなのですが、一糸乱れぬような入場の行進を見た時、思わず「軍隊か!」とある意味新鮮でした(笑)。離れてみて初めて気付いた違和感でした。

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過去に何度か「シュタイナー教育」の話を聞いたことがあり気になってはいたものの、理論だけ読んでも、あまり面白みがわからなかったので、体験ができる今回は絶好のチャンスとばかりに参加してみました。

いくつかある選択肢の中で選んだのは「幾何学」のクラス。

私、幾何学はまともに習ってこなかったのです(汗)。文系のため数I、Aしかなかったからか、途中で留学してしまったからか覚えてないのですが…。

だから、独学でサラッと触っただけなので幾何学って深い部分で理解できていないから、一種の憧れがあるのです(笑)。

幾何学の授業、
まずは体感することから始まりました。
えぇ、幾何学を「体を張って」感じるという(笑)!

ぱっと見、アイスブレイクみたいなゲームにしか見えないのだけれど、12人で円陣になり、初めは左右に「1人」隣の人と手を繋ぐ。次に左右「2人」隣の人と手を繋ぐ。それを6人までやる。

もう、手も身体もグチャグチャになって、ひとまずのウォーミングアップ。
なんかよく分からないけど、楽しいで終わる段階。

次に、今、行った動きを紙の上で再現していく。(写真参照)

そうすると、何ということでしょう✨
最近はやりの「糸かけ曼荼羅」を想像してもらえれば分かりやすいのですが、美しい幾何学模様が出来上がる。

糸かけ曼荼羅って、幾何学の原理なんだって〜とは聞いてはいたけれど、やはり、自分の体を動かして一から学ぶと腑に落ちる感覚が全然違う!

「えっ、なんか楽しんで線を引いていたら小難しい図形みたいなのが描けちゃってますけど?!」みたいな。


そして、もう1つのワークは、細かい説明は省きますが、真っ直ぐ線を引いているはずなのに、放物線になっていく。(写真参照)

教科書では散々見てきたけれど、自分の手を動かすことで生み出されたかと思うと、理論が分かっていても、心底不思議で仕方ない。
この放物線のアーチは重力を支える所には発生する。例えば足裏のアーチとか、建築物とか、と先生が説明して下さったけれど、幾何学の原理を知るだけで、ガウディの建築とか、人間の身体とか、モスクの模様とか全然見方が変わってくる!!と感動してしまいました。

表現が正しいか分からないですが、自然や宇宙の摂理(又は、ルールや法則)が自然界だけでなく自分の身体にも適用されていることが、頭では分かってはいたけれど、腑に落とすことができた感じでした。

なんか、その瞬間、「世界は美しい」と感激してしまった。

よく、物理や数学の学者先生方が言っている「世界は美しい」(文学的なニュアンスとは違う世界は美しい)をほんの少し理解できたような気がしました。

一つの科目、例えば「数学」の中で何か一つの項目を学ぶのではなく、日々の生活の中から学びを発見して体得していくと言った方がふさわしいのかもしれない。

「教育は科学ではなく、芸術である」というシュタイナーの言葉が廊下に書いてあったけれど、その通りだなぁと感じました。

こんな教育、私も受けたかった〜。
受けたいよぅ!

何度も何度も感じてしまいました。

〜〜
きっと、そういう大人は私だけではなく少なからずいるでしょう。

あと、環境教育をやっていても感じるのですが、いくら子供だけに「シュタイナー教育」とか「環境教育」とか提供しても、理解や柔軟性がある親や大人に囲まれていたならいいけれど、「頭の固い」大人に囲まれていると、すっごく元の考え方や価値観に引き戻されると思うのです。

子供って、大人の影響を多大に受けるから。
なので、子供への教育も大事だけれど、それと同等か、それ以上に大人の価値観や考え方をシフトさせる方が重要なのではないかと個人的には思っています。

未来を築くのは子供たちでも、今日を作っている(支配している)のは大人たちだから。

大人になってしまった人間の価値観や考え方を変えるのは、子供と比べると難しいと一般的には言われるけれど、一方で、大人は自分の意志で再教育ができるとも言われます。

だから、こんなこと学んでみたいな〜と思う大人が学べる学びの場、作りたいなと思いました。

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ちなみに、来月頭には、青山学院大学でシュタイナー学園の出張講座があったり、一般の大人が体験できる機会も多々あるみたいだよ。

詳しくはチェックしてみてね〜

ふらっと旅人 / Flat Tabibito

どこか遠くへ、 「ふらっと」旅をした時のこと。 日々の暮らしの中でも、 「ふらっと」入った新しいお店、 「ふらっと」気の向くままに歩いて巡り合った景色。 遠くのどこかも、すぐ近くのあの場所も、 私にとっては同じ旅をすること。 「ふらっと」軽やかな気持ちで、そして、日常も、非日常と捉えられがちな旅先も、実はひとつながりなのだよ、という意味を「flat」に込めて、綴っていきます。

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