ヨガを通して、自分と話す。

週末、腰を捻挫して以来はじめてヨガをしました。(2か月ほど前に、通院していた整骨院の治療ミスで捻挫)

たまたま知人が、今度ヨガの先生を招くよ〜と教えてくれたのですが、偶然なのか必然なのか、私が学んだハートオブヨガの先生をされている方でした。

以前、ハートオブヨガの先生を探す必要があった時に色々検索していたら、その方のblogがヒットして読んでいて、なんかおもしろ人だな〜と思っていたのです。

そしたら、友達の友達みたいに繋がっていたとは(笑)←今、ココ。

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腰ってね、カラダの「要」と書くとおり、怪我をするとマッッッジ、どうにもならないんだと身体を張って感じております。

身体をリラックスさせたい〜と思って、両手を挙げたり、広げたりして深呼吸をしようとするだけでも「ウッ(*_*)」ときて、身体の防御反応で反射的に硬直するんです。

呼吸さえ、深くできないなんて…。悲しい。
なんか無念だったり、力を抜くことも上手くできないし、ますます怪我させた相手に怒りがこみ上げてきたり、色々混ざって疲れる。

そんなんで、いわゆる「ヨガ」はできず、まずは呼吸が気持ち良くできるようにと思ってきました。が、やはり自分だけだと当然ながら身体をかばう気持ちや、怖さもあって、かなりテキトーでやってきました。

なので、今日は、無理をしないのは1000%当たり前だけれど、その中で、小さな挑戦をしてみようと思いました。

ちなみに、ハートオブヨガは「ポーズに合わせて呼吸をするのではなく、自分の呼吸に合わせてポーズをするもの」と考えているので、呼吸が「ウッ」となった時点で、それはやり過ぎなのです。

だから、呼吸の長さも身体の柔軟性も十人十色なので、側から見ると、みんはバラバラに見えたりもします。

側からみたら、かなりヤル気のない人か、バリカタな人(笑)だったと思います。

まだ私の中では、周りの目を気にする自分が存在しており(笑)、指導者資格を取る前に比べたら相当なくなったけれど、それでも「なんか恥ずかしい…」と思う私がいる。けれど、今回はそんな気持ちに応えている余裕はなかったこともあり、改めて、身体の声を無視して周りを気にしても、一切得なし!と実感しました。

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リハビリをするように慎重に動かしてみて、思ったより出来たり、出来なかったりすることを重ねて気が付いたのは、

いつも「痛いから出来ないできない」と思っていたこと。

確かに、神経に障るような痛みがあるから出来ないことが多いのです。

ただ、その基準値が、「健康な時の自由自在に動ける私」にあることに気がつきました。

そりゃ、そこと比較したら動けてないわ!

だから基準値を変えると「動けている」のです。

2か月前よりは動けている!
ぶり返したけれど、たぶんひと月前よりも進歩している!!

いつも頑張ってくれている身体さんに対して、マジごめんなさい!と反省しました。

そもそも「健康」とは、何なのだろうって改めて思ったし。

今回は「怪我をする前の状態」が、健康である目標値としているけれど、真の意味で健康だったかと聞かれたら違うと思うし、仮に片脚を失ってしまったとか、車椅子生活になっていたとしたら、私は永遠に「健康」に戻れることはできないとなってしまう。

それはちょっと違うよね。

日本語だと適訳がまだ無いような気がするのですが「Well being(ウェル ビーイング)」の状態を保つことが大事なんだよね。

「心と身体が、その時の最善状態であること」なのかな。

腰が痛ければ痛いなりの、私のwell beingがあるはず。

どんな状態が理想なんだろう…?!

「健康」に戻ることばかりに気を取られ考えていなかった💦

一気に戻ることは、なかなか考えにくいから。

今日、野球を始めたばかりの子が、一晩寝て睡眠学習して、イチロー並みの上手さになってましたレベルの奇跡よね(笑)

今日の「最善」を積み重ねていくしかないのだなぁと、久しぶりのヨガを通して気がつくことができました。

少し痛みが引くと、つい動き回りたくなってしまうので(犬か!)、走り回っていたら、どうぞ皆さま繋ぎ止めて下さい(笑)

写真:星のカタチの黄花に魅かれて撮ったけれど、よく見たら花びらがハート💕

ふらっと旅人 / Flat Tabibito

どこか遠くへ、 「ふらっと」旅をした時のこと。 日々の暮らしの中でも、 「ふらっと」入った新しいお店、 「ふらっと」気の向くままに歩いて巡り合った景色。 遠くのどこかも、すぐ近くのあの場所も、 私にとっては同じ旅をすること。 「ふらっと」軽やかな気持ちで、そして、日常も、非日常と捉えられがちな旅先も、実はひとつながりなのだよ、という意味を「flat」に込めて、綴っていきます。

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