国分寺駅ロータリーで2時間植物観察を楽しむ人に会ってきた!

先日、国分寺駅ロータリーで、2時間も、植物観察を楽しんでしまう方に会って来ました!!

もう、一体どんな方なのだろうか…と思いますよね?

気になる〜!!という方は、ぜひ、このまま読み進めていただけたら、うれしいです。

実は、先日、国分寺のカフェスローという場所で開催された、こういうイベントに参加して来たのです。


以前、友人に「街中にある植物をすごく綺麗に撮って、おもしろいブログを書いている人がいる」と聞いたことがキッカケで、鈴木純さんのことを知りました。

それ以来、いつかナマでお話を聞いてみたいと思っていた方でした。

最近は、初の著書を出され、ますます、私の中の「会ってみたい熱」は発酵していました(笑)。
イベントは、鈴木純さんと小西さんのお話でしたが、今回は、鈴木純さんの活動やお話に的を絞り、私の中でヒットした部分を書きたいと思います!


●まず、なぜ鈴木純さんにお会いしてみたかったか。


→街中で見かける何気ない植物にスポットライトを当て、おもしろく「料理」しているから。

私自身、自然が好きなのですが、どうしても「大きな自然」に目を奪われがちになってしまいます。 

都市部で生まれ育ったので、もともと近く にある自然というのは、街中にある自然。

けれど、だいたいは誰かが植えた花や木であったり、プランターの植物。

「キレイ!」とは思うけれど、あまり魅力を感じることはありませんでした。

一方で、「いつも目に入る植物の名前、知りたいな〜」という思いもあり、まちの中にある身近な植物を観察する鈴木さんの存在が目に止まりました。

似たような活動をしている方は他にもいると思いますが、彼のブログや著書を拝見し、デザインセンスや切り口などに魅力を感じました。



●会ってみて、どうだったか?

「僕、街中で植物観察会をやるんですが、なかなか移動しないんです。この前なんて、国分寺の駅前からスタートしたのですが、結局、駅前のロータリーで、ほぼ2時間が終わりました(笑)。
周囲の人が『なに、この人たち??』という不思議な目線を向けてくるけれど、それがまたおもしろい。」

そんなお話を伺い、絶対、この人のツアーはおもしろいに違いない!!と思いました。

皆さんは、自分の最寄駅の周りに、どんな植物が生えているか思い出せますか?


駅をあまり利用されない方は、お家や職場、よく行くお店や図書館の周りでも結構です。

たぶん、ほとんどの人は見てないと思います。

目に入ってきても、意識的に「ここには、ケヤキが植わっていたんだ!」と見ている人は少ないでしょう。

一方で、テレビや雑誌などメディアで、「どこどこに絶滅危惧種となっている花が咲きました。」なんて聞くと、足を伸ばして行く。

実は、まちの中にも珍しい植物はいるのですよ〜!!


単純に、「インスタ映え」ではありませんが、ぱっと見が「映えない」などの理由でメディアに取り上げられることがないから、知らないだけだったりするのです。

つまり何を言いたいかと言うと、

自分の足元や日常の生活圏にも、多種多様なな自然は広がっていると言うこと。

そして、その多様な植物は、昆虫や鳥たちの命も支えていること。

そんな「身近で貴重な自然」に、気がつかせてくれるのが鈴木さんだと思いました。
鈴木さんオススメ本の中の一冊。


●足もとのサークル・オブ・ライフ


Circle of life(サーコォ・オ〜ブ・ラ〜イフ)♫と、ライオンキングを観た方なら、あの歌が、今ごろ脳内に流れていることかと、お察し申し上げます(笑)🦁

サークル・オブ・ライフとは、訳すならば、「命の循環」や「生命の輪」となるでしょうか。

映画ライオンキングでは、主役のシンバのお父さん(国王)が、将来、王様となる子どものシンバに向かって、確かこんな話を説きます。

「自然界のあらゆるものは“生命の輪”で繋がっている。」

だから、自分たち(ライオン)が強いからと言って獲物を取り過ぎてはダメ。自分たちもその生命の輪の中で生かされているということを。


ライオンキングから話を戻します。


鈴木さんの話を聞いていて

あぁ、私たちの足もとにもサークル・オブ・ライフが広がっているわ!


と感じました。

人間界 /  自然界

と、町に住んでいると、私たちは分離しているように捉えがちですが、実は、一つのサークル・オブ・ライフの中に生きているのだなと。

生垣の植物や、マンションの陰に隠れてしまう植物は、生き延び、次の世代に生命をつなげるために、こんな生存戦略を繰り広げていたのかと驚きます。


●まち中で自然を感じるからこそ、響いてくるもの。


→まち中で暮らしている人ならば、自分の日常にも、こんなに自然の営みがあったのか!と驚きます。

→普段、いかに身近な足元を見ていないことに気がつきます(笑)

足元をじっくり見ることで、人生の中でも大切なものを見過ごしていないか感じられるのではないでしょうか。


私も、都市で生まれ育ち、暮らしているからこそ、もっと「まち」と「自然」の調和を意識できるような活動をしていきたいと思いました。
椿の芽を2つに割ったところ↑









ふらっと旅人 / Flat Tabibito

どこか遠くへ、 「ふらっと」旅をした時のこと。 日々の暮らしの中でも、 「ふらっと」入った新しいお店、 「ふらっと」気の向くままに歩いて巡り合った景色。 遠くのどこかも、すぐ近くのあの場所も、 私にとっては同じ旅をすること。 「ふらっと」軽やかな気持ちで、そして、日常も、非日常と捉えられがちな旅先も、実はひとつながりなのだよ、という意味を「flat」に込めて、綴っていきます。

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